オタフクソースの工場見学 [カンブリア宮殿]
こんにちは 真紗世です
オタフクソースの工場見学
カンブリア宮殿で紹介の 広島にあるお好み焼のソースの会社です
オタフクソースの工場見学が無料で出来る!
それが広島にあるそうですよ。
お好み焼きは 国民食ですよね
和食?です^^ハイ。
私は 関西に少々住んでいた事があります。
ですので
広島のお好み焼より 関西のお好み焼の方が正統派!だと 思っているひとり
おうちで作るお好み焼きは 関西風です
そして
このオタフクソースは 当たり前に使っております
広島のお好み焼を嫌っているわけではないのですよ
良くしらいないのです><;
作り方も味わいもね
それでも
家の冷蔵庫にあるのも このオタフクソースです
このどこの家庭でもある(はず)オタフクソースの工場見学ができるようです
…ちょっと疑問。オタフク(福笑いに使う彼女をオタフクというのでしょうか?)
【オタフクソースの名前の由来】
美人の象徴「お多福」より、調味料は甘酸塩辛苦、旨味、渋味、えぐ味(味の八味)から成り立っているが、人生の甘いも酸いも苦いも知り尽くした女性(お多福)に広く愛用されたいという願いを込めた。
オタフクソース株式会社より
なかなか深い?・・・良くわかりません。・・ちょっと無理やり?かなぁ
そんなオタフクとなずけられたオタフクソースの歴史は、調べてみると面白かったので 記載します。
【オタフクソースの歴史】
1922年、広島市横川町で酒・醤油類の卸小売業「佐々木商店」として創業。
商店では、醤油や酒を、お客様の好みに合わせて数種類を調合し、販売していました。この技術を活かし、1938年に「お多福酢」が出来上がった。
1945年、原爆投下により店・工場も家も全焼。
終戦を迎え、酒造蔵を借り受け、醸造酢の製造を再開。
1949年「洋食の時代がくる」と、ウスターソースの製造に取り組み始める。
初めてのソースづくりは、香辛料を広島から大阪へ買いに行くことに始まり、工場とはいえ、全ての野菜を手作業でピューレ状にするような工場。
およそ1年がかりで、1950年に「お多福ウスターソース」の販売を開始。
その頃、一銭洋食が前身といわれるお好み焼きには、ウスターソースがかけられていました。
メリケン粉(小麦粉)の生地に、わずかにのせる魚粉やとろろ昆布、刻みネギなどの具材。
仕上げにウスターソースか醤油、あるいはそれらを混ぜたものが塗られていた。
「サラサラとしたウスターソースはお好み焼きから流れ落ちて、すぐに鉄板の上で蒸発してしまう」
と一銭洋食屋さんの店主たちの声を聞き
お好み焼きに合うソースづくりの日々が始まりました。
日々、一銭洋食の店主とのやりとりを何度も重ねながら、味やとろみなどを調整し、
毎日のように工場で試作されたそうです。
そして、遂にお好み焼き用のソースが1952年に誕生した。
今も昔も、ものをつくるというのは お客さんの意見に深く耳を傾けることが大切なのですね。
その声を聞かなければ今の状態のトロリとしたソースはなかったのでしょう。
食べやすくておいしいものを開発する。
会社や工場の人々の苦労がうかがえます。
とても、心にしみます。
そんな歴史がある オタフクソースです。
【オタフクソース容器の歴史】
今では当たり前のプラスティックボトル
むかしはどんなふうだったのでしょう
これは工場のあり方と大いに関係してくるのでしょうね。
ソースの製造過程はもちろんだけど、容器に詰める作業も当たり前だけど工場内
その工場にある機械の構造で変っても来たのでしょう。
1952年に開発したお好み焼き用のソースは、ビンの容器。
ウスターソースの一升ビンに、「お好み焼用」という小さなシールを貼っていました。
酵母が働いて炭酸ガスが出る発酵によって、ビンの栓が飛んだり、時にはビンが破裂し、「爆弾ソース」と呼ばれることもありました。
しかし、人体に害を及ぼすかもしれない添加物や防腐剤は一切使わないという創業以来の信念のもと、専門家に相談したり、独自の研究を続けたりして、品質の改良に努めました。
業務用としてお好み焼き店などへ向けて販売していましたが、家でも使いたいという声が多数寄せられるようになりました。そして、1957年に商品名を「オタフクお好みソース」とし、家庭用も発売しました。 当時、家庭用のお好みソースも容器はビンでした。
「エバール」という樹脂で容器を容器メーカーと共同で、出しやすく、品質も保てる容器を約2年がかりで開発しました。
1982年、出来上がったスクイズボトルを「フクボトル」と名付け、家庭向けの容器として使用を開始しました。
フクボトル開発と同時に、より身近なソースになるようにと、多様な料理写真なども載せたカラフルで斬新なデザインのパッケージに変更したところ、新しい容器とデザインは、昔からのオレンジ色をベースにした山形の素朴なデザインだったビン入りのソースと、別のソースと思われてしまい、売り行きが伸び悩んでしまった。
そこで再び、オレンジ色がベースの山形のデザインにもどし、お好みソースのパッケージとして定着しいるそうです。
ここにも面白い歴史がありました。
さてそんなオタフクソース
今では オタフクソース製造過程を見学できる工場が広島にはあります。
オタフクソースの工場見学
広島市西区商工センター7丁目4-5にその工場があります。
工場見学ができるのが
毎週月~金 午前10時からとと午後1時30分からの一日2回
所要時間は、おおよそ90分程の事
*この工場見学は学校からの団体も受け入れているようです。
見学料金は無料。
見学だけではなく、お好み焼を実際に焼いて食べる体験コーナーもあるようで
こちらは、工場見学と併せて1,000円程度で体験できるようです^^
これは是非試してみたいです。
広島のお好み焼は 関西のお好み焼と全く違う作り方なことは知っています。
だから 是非作り方を教えてもらいたいな。
これも ホットプレートを使ってのバージョンと
鉄板を使ってのバージョンがあるそうです。
もしトライするなら 鉄板のお好み焼に挑戦したいです^^
工場見学は、サントリーに行ったことがありますがとても楽しかった覚えがあります。
お近くの方や 広島方面に行かれる方
このオタフクソースの工場見学 参加してみては?!
詳しくはこちらから→オタフクソースの工場見学
オタフクソースの工場見学
カンブリア宮殿で紹介の 広島にあるお好み焼のソースの会社です
オタフクソースの工場見学が無料で出来る!
それが広島にあるそうですよ。
お好み焼きは 国民食ですよね
和食?です^^ハイ。
私は 関西に少々住んでいた事があります。
ですので
広島のお好み焼より 関西のお好み焼の方が正統派!だと 思っているひとり
おうちで作るお好み焼きは 関西風です
そして
このオタフクソースは 当たり前に使っております
広島のお好み焼を嫌っているわけではないのですよ
良くしらいないのです><;
作り方も味わいもね
それでも
家の冷蔵庫にあるのも このオタフクソースです
このどこの家庭でもある(はず)オタフクソースの工場見学ができるようです
…ちょっと疑問。オタフク(福笑いに使う彼女をオタフクというのでしょうか?)
【オタフクソースの名前の由来】
美人の象徴「お多福」より、調味料は甘酸塩辛苦、旨味、渋味、えぐ味(味の八味)から成り立っているが、人生の甘いも酸いも苦いも知り尽くした女性(お多福)に広く愛用されたいという願いを込めた。
オタフクソース株式会社より
なかなか深い?・・・良くわかりません。・・ちょっと無理やり?かなぁ
そんなオタフクとなずけられたオタフクソースの歴史は、調べてみると面白かったので 記載します。
【オタフクソースの歴史】
1922年、広島市横川町で酒・醤油類の卸小売業「佐々木商店」として創業。
商店では、醤油や酒を、お客様の好みに合わせて数種類を調合し、販売していました。この技術を活かし、1938年に「お多福酢」が出来上がった。
1945年、原爆投下により店・工場も家も全焼。
終戦を迎え、酒造蔵を借り受け、醸造酢の製造を再開。
1949年「洋食の時代がくる」と、ウスターソースの製造に取り組み始める。
初めてのソースづくりは、香辛料を広島から大阪へ買いに行くことに始まり、工場とはいえ、全ての野菜を手作業でピューレ状にするような工場。
およそ1年がかりで、1950年に「お多福ウスターソース」の販売を開始。
その頃、一銭洋食が前身といわれるお好み焼きには、ウスターソースがかけられていました。
メリケン粉(小麦粉)の生地に、わずかにのせる魚粉やとろろ昆布、刻みネギなどの具材。
仕上げにウスターソースか醤油、あるいはそれらを混ぜたものが塗られていた。
「サラサラとしたウスターソースはお好み焼きから流れ落ちて、すぐに鉄板の上で蒸発してしまう」
と一銭洋食屋さんの店主たちの声を聞き
お好み焼きに合うソースづくりの日々が始まりました。
日々、一銭洋食の店主とのやりとりを何度も重ねながら、味やとろみなどを調整し、
毎日のように工場で試作されたそうです。
そして、遂にお好み焼き用のソースが1952年に誕生した。
今も昔も、ものをつくるというのは お客さんの意見に深く耳を傾けることが大切なのですね。
その声を聞かなければ今の状態のトロリとしたソースはなかったのでしょう。
食べやすくておいしいものを開発する。
会社や工場の人々の苦労がうかがえます。
とても、心にしみます。
そんな歴史がある オタフクソースです。
【オタフクソース容器の歴史】
今では当たり前のプラスティックボトル
むかしはどんなふうだったのでしょう
これは工場のあり方と大いに関係してくるのでしょうね。
ソースの製造過程はもちろんだけど、容器に詰める作業も当たり前だけど工場内
その工場にある機械の構造で変っても来たのでしょう。
1952年に開発したお好み焼き用のソースは、ビンの容器。
ウスターソースの一升ビンに、「お好み焼用」という小さなシールを貼っていました。
酵母が働いて炭酸ガスが出る発酵によって、ビンの栓が飛んだり、時にはビンが破裂し、「爆弾ソース」と呼ばれることもありました。
しかし、人体に害を及ぼすかもしれない添加物や防腐剤は一切使わないという創業以来の信念のもと、専門家に相談したり、独自の研究を続けたりして、品質の改良に努めました。
業務用としてお好み焼き店などへ向けて販売していましたが、家でも使いたいという声が多数寄せられるようになりました。そして、1957年に商品名を「オタフクお好みソース」とし、家庭用も発売しました。 当時、家庭用のお好みソースも容器はビンでした。
「エバール」という樹脂で容器を容器メーカーと共同で、出しやすく、品質も保てる容器を約2年がかりで開発しました。
1982年、出来上がったスクイズボトルを「フクボトル」と名付け、家庭向けの容器として使用を開始しました。
フクボトル開発と同時に、より身近なソースになるようにと、多様な料理写真なども載せたカラフルで斬新なデザインのパッケージに変更したところ、新しい容器とデザインは、昔からのオレンジ色をベースにした山形の素朴なデザインだったビン入りのソースと、別のソースと思われてしまい、売り行きが伸び悩んでしまった。
そこで再び、オレンジ色がベースの山形のデザインにもどし、お好みソースのパッケージとして定着しいるそうです。
ここにも面白い歴史がありました。
さてそんなオタフクソース
今では オタフクソース製造過程を見学できる工場が広島にはあります。
オタフクソースの工場見学
広島市西区商工センター7丁目4-5にその工場があります。
工場見学ができるのが
毎週月~金 午前10時からとと午後1時30分からの一日2回
所要時間は、おおよそ90分程の事
*この工場見学は学校からの団体も受け入れているようです。
見学料金は無料。
見学だけではなく、お好み焼を実際に焼いて食べる体験コーナーもあるようで
こちらは、工場見学と併せて1,000円程度で体験できるようです^^
これは是非試してみたいです。
広島のお好み焼は 関西のお好み焼と全く違う作り方なことは知っています。
だから 是非作り方を教えてもらいたいな。
これも ホットプレートを使ってのバージョンと
鉄板を使ってのバージョンがあるそうです。
もしトライするなら 鉄板のお好み焼に挑戦したいです^^
工場見学は、サントリーに行ったことがありますがとても楽しかった覚えがあります。
お近くの方や 広島方面に行かれる方
このオタフクソースの工場見学 参加してみては?!
詳しくはこちらから→オタフクソースの工場見学